2022年7月、満月の日に向島でオープンしたギャラリー「素白(そはく)」。オーナーの中尾早希さんは、福山市内海町で生まれ、上京を経て、尾道へJターンしました。この街に暮らして7年、「尾道にあってほしいものって何?」を考え続ける中尾さんに話を聞いてみました。
中尾早希(なかおさき)
1993年生まれ/広島県福山市出身/「素白」主宰
2016年3月、尾道へJターン移住。町おこし会社での勤務を経て、2021年に独立。
アイデンティティのひとつ
故郷の島・内海町
――ご出身は福山市なんですね。尾道へ移住することを決めた理由は、何でしたか?
福山市といっても、島育ちで、内海町にある横島で高校3年生まで暮らしました。大学進学を機に上京し、武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科で4年間学んだのですが、次第に「東京に居続けるのは、なんだか違うかも」って感じるようになったんです。
そのきっかけは、自分を形作る「アイデンティ」を10個、発表する課題。在学中に在籍していたインテリアデザイナー・片山正通先生のゼミで出されたものでした。そのとき、自分のアイデンティティを真剣に探って、価値観や暮らし方を徹底的に考えて書き出していくプロセスで、生まれ育った島での暮らしをたくさん思い浮かべたんですよね。そういった「田舎」にこそ、私のアイデンティティがあるんじゃないか、って気がついて。
大学卒業後も、「本当にその10個が正しいのか?」って、心にひっかかっています。自分自身に対して「正解」を問うことで、思考や判断を助けてくれているように思います。
拠点探しの旅で行き着いた「尾道」
――20歳ごろで、その気づきを得られたのは大きかったでしょうね。
そうですね。アイデンティティを探るプロセスでも、そういえば、島で暮らすおじいちゃん、おばあちゃんが包丁を研いでいる姿はカッコいいなって、小さい頃から思っていたなぁ、とか思い出して。島に残る手仕事とか産業、暮らしの知恵といったものにも意識が向くようになったので、卒業後は地方へ行こうと思って、就職せずに1か月ほどかけて気になるエリアをいくつかめぐりました。
拠点探しのキーワードは、「自然の近くで、文化的なことも忘れずに暮らせる場所」。山梨の北杜市や富士吉田市、神奈川の鎌倉などを訪ねて、広島の江田島にも行ったかな。それで最後に、尾道。実家に近いし、通り道だからって軽い気持ちで寄ったら、びっくりして。文化的な部分で風通しがよくて、おもしろいお店も多いですし。
――志賀直哉や小津安二郎、大林宣彦にゆかりのある、文学の街、映画の街でもあるし。
極めつけは、尾道の街でおもしろい人に出会って、かけてもらった一言でした。「死ぬまでにいつか住みたい」と言う私に、「人気のある街だから、そのうちって言ってないで、すぐ引っ越ししたほうがいいよ」って。そんな風にグイグイ感のある街もめずらしい(笑)。
それで、「そうですよねー」なんて言っているうちに、この街で暮らす妄想が広がって、すぐに移住を決めました。それが2016年3月。同じ広島県内とはいえ、地元に戻るのとは違って、気に入った街で新しい暮らしを始めていけることが、新鮮に感じましたね。
新卒で尾道へ。山手地域のホテル開業に全力投球
――尾道での就職先はどうやって探したんですか?
新卒で尾道へ来たのが3月。新卒採用の時期は外れていたので、募集はかかってなかったけれど、気になる企業の社長さんに連絡をとって面接していただきました。
その面接で、「いずれは独立したい」とお伝えして、時間をかけて育てていくような長期的なプロジェクトに関わりたいという話もさせていただきました。私の希望は、店舗設計やインテリアデザインといったハード面だけでなく、その場で展開するコンテンツといったソフト面にも携わる仕事だったので。
すると、社長から「英語、話せますか?」って聞かれたんです。旅先で道を聞かれたら言えるぐらいの英語力だったんですけど、「はい」と回答したら、これからできる新しい宿泊施設のプロジェクトメンバーとして採用していただくことになりました。
――すごい流れですね! 「英語、話せます」って答えていなかったら別の仕事だったかもしれないわけで。
そうなんです。そこから町おこしの会社に所属して、2019年12月に尾道山手でオープンしたホテル「LOG」の開業に向けて動いていきました。とはいえ、私が入った当初のメンバーはLOG部署の代表と、新卒の私の2名体制。
包括的にプロジェクトに携わり、「LOGとはどういう場であるべきか」というコンセプト作り、インドの建築事務所「スタジオ・ムンバイ」との設計打ち合わせ、壁塗りなどの施工、ショップの商品やカフェバーのメニュー開発などのコンテンツ作り、現場のサービス、イベントやワークショップの企画運営、広報など。準備期間も含めて4年半であらゆることを経験させていただきました。
そんな中、開業まもない時期にコロナ禍が始まり、尾道に数ある宿泊施設の中でもLOGは早々に休業を決断して…。それで、週5勤務だったのが週2になり、副業もOKになったので、独立を見据えて動き出しました。
――独立にあたって、何から考えていったんでしょうか?
大学生の頃だと、その年齢で思い浮かべるのは、喫茶店とかバーだったんだろうな、と思うんですけど、私には料理の修行経験がないから違うとは感じていて。時間がたっぷりできたときに、「何屋になるのか、しっかり考えよう」と尾道の街をよく観察してみたら、「クリエイティブな人が表現できる場やコンテンツが少ない」と気づいたんです。
それから、私は言葉を紡いで人に伝えていくことが好きだし、それが自分の強みだとも感じていたので、「作家モノを扱うギャラリーをやろう」と考えるようになりました。
向島に「素白」をオープンするまで
一方、コロナ禍で知り合いの飲食関係者が大変な時期だったので、オンラインストアの新規開設や、新規の販路開拓、新しいワークショップの立ち上げと運営などのお手伝いを副業でしていました。その経験を経て、いまでも地元の事業者さんのブランディングや企画、商品開発のほか、会社設立のサポートなんかもしているんです。立ち位置的には「最強の二番手」という感じ。共感できる人のビジネスを一番に輝かせるために何をすべきかを大切にしています。
――まるで、必殺仕事人。そうやって尾道の事業者を親身にサポートする一方で、ご自身のギャラリー開業についてはどう進めましたか?
いろんな事業者さんのサポートを通して、やっぱり「場」があると、伝えたいことが爆速で伝わっていく、と感じました。ずっと肩書をつけずに仕事してきたんですけど、場所があることで「何をする人」か、理解してもらえるまでが早い。話も早い。デザイン用語で言うと「トンマナが伝わる」。そういう実感があったので、まずは場所探しから。
改装できることを条件に探して、いまの素白の場所を、同じ建物にある古着屋「BUI」さんに教えてもらって内覧しました。部屋に入って、大きな窓から光がたっぷり入るのを見た瞬間に、この場所でやるべきビジョンがはっきりと浮かんできたんです。それで契約を決めて開業準備に入り、2022年7月14日にオープン。
「素白」という店名は、素材の「素」と色の「白」を組み合わせた造語なんですけれど、すっきりした空気感があって、お店のコンセプトにもぴったりフィットして、とても気に入っています。
尾道で開業したい方へ
――これから尾道で自分のお店を持ちたい人へ、アドバイスはありますか?
開業系のマニュアル本、おすすめです。私の場合はギャラリー開業でしたが、飲食業開業に関する本はたくさんあるので参考になるかもと思って読みました。物件を契約してから開業までを半年と想定した場合のスケジュールと、やるべきことが書いてあったので、そのとおりに進めると、できました。素白の場合は、セルフリノベーションをしたこともあって、物件契約から半年+20日で開業、ですね。
準備で大変だったことは、銀行で融資を通すこと。向島で、建物の2階でギャラリーをやりますって説明すると、銀行の人からは「うまくいくわけない」って言われたりもしましたけど、しっかりと事業計画書を作って伝えていきました。
――なるほど。まだそこまで具体的に決まっていない人は?
「何屋さん」になりたいか、まだわからない人は、街をよく観察してみることから始めてほしいです。足りないものや、必要とされていると思うものを見つけて、ニーズを読みとくと、長く続いていくお店へと成長すると思います。そして、もし自分がなりたいものを見つけたら、たとえばそれがパン屋なら「パン屋がやりたい」っていろんな人に言ってみてほしい。街に顔を出して、伝えて、知ってもらうと、「良さそうな物件があったよ」なんて話が舞い込んできたりするから。
このご時世、オンラインだけでも好きなことをしようと思えばできるけど、私はなんだかそれって「宙ぶらりん」だなって感じるんですよね。その街にいる人のことも知っておくほうが楽しくない?って思うし、そうやって自分も街の一部として溶け込むのが、やっぱり大事だと思います。
素白
所在地:尾道市向東町1011-1・2階
instagram:https://www.instagram.com/so_haku__/
中尾さんおすすめの場所:志賀直哉旧居と海岸通りのベンチ
「志賀直哉旧居の縁側や海岸通りのベンチは、瞑想に近いような時間をすごせて“無”になれるから、インスピレーションがわいてきやすいです。ぼんやりと景色をながめたり、本を読んだりしてるうちに、街に溶け込む感覚になれますよ」
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