移住者

50歳でテレビ局を退職。尾道へUターンし市長を目指すまでの一部始終

50歳を機にテレビ局を辞めて尾道へUターン移住した亀田年保さん。起業を経て尾道市の市長を志すまでの激動のストーリー。

亀田年保(かめだとしやす)

1970年生まれ。尾道市出身。合同会社つなぐ和代表
2021年尾道へUターン移住。

東京にて尾道を意識するきっかけ

ーー亀田さんはUターン前は東京でテレビ局に勤められていたそうですね。
読売テレビに28年間勤め、いろいろな仕事をさせてもらいました。

スポンサー営業からスタートして、スポーツ記者、「名探偵コナン」などのアニメを扱うコンテンツビジネス部門にもいました。

ーーいわゆるテレビマンとは違うイメージですね。
新しいことばかりやっていましたね。当時まだ一般的ではなかった動画配信を始めたり、「秘密のケンミンSHOW」の冠をつけた物産展を企画したり、読売テレビのインターネット関連の子会社の役員もやらせてもらいました。

尾道にまつわるある「プロジェクト」

ーーそんな亀田さんが東京で尾道を意識し始めたのはいつ?
2009年に会社に在籍しながら早稲田大学ビジネススクールに入りました。そこで師事した内田和成先生が広島県の湯崎英彦知事の諮問会議のメンバーだったんです。メンバーの中には常石造船グループの神原勝成さんもいました。

ーーその頃は常石グループが尾道で町おこし活動を始めた時期ですか?
はい、常石造船グループが尾道でONOMICHI U2や尾道デニムプロジェクトを始めた時期でした。
内田先生のゼミで、そんな尾道の取り組みをウォッチするプロジェクトができたんです。そこに尾道出身ということで僕も入らせてもらいました

ーー故郷尾道に引き寄せられたような話ですね。
ゼミのみんなで尾道に視察に行ったりしたんですけど、常石造船の神原さんや、出原昌直さん(現在、広島県県議会議員)をはじめ同世代が尾道を盛り上げるために頑張っている姿を見て「すごいなぁ」と刺激を受けたんです。

この頃はまだ尾道に帰ろうとは考えてはいませんでしたが、より尾道を意識するきっかけになりました。

テレビ局を辞めて尾道にUターンした理由

ーーそこから10年ほど勤めて2020年、50歳の時に読売テレビを退職されます。
読売テレビは60歳が定年だったのですが、60歳って普通に考えたら絶対元気じゃないですか。

会社にこのままいて、どれくらいのことが意思決定できるのかと考えた時、難しいなというのがあったんです。

ーーキャリアに行き詰まりを感じたと。
別に、干されたわけではないですよ笑。自分で言うのも何ですが、どちらかと言うと期待されていたと思います。

ただうちの会社だけではないですけど、上がつかえているし…。伝統的な会社だったのでこれをやりたいと言っても、なかなか通らない。60歳が定年なので、50歳までにどういう生き方をしたいか考えないといけないと思いました。

残りの人生の過ごし方

ーーそこからどういう風に尾道に結びつくのですか?
ちょうどその頃、尾道観光大志になっていて、東京で尾道の名刺を出すとすごく反応がよかったんです。商談でも尾道の話題になったり認知度が高くて、改めて尾道すごいなと思いました。

50歳を前に、残りの人生を尾道で過ごして、尾道のために使うのもアリだなと徐々に思い出しました。それで、(帰った時のために)尾道に関わりをたくさん持っておいた方がいいと思い、東京にある尾道大好きな人の集まり「尾道サポーターの会」の幹事や、瀬戸田のしおまちとワークショップなどで活動し始めました。

すると少しづつネットワークが広がっていって、帰っても「僕の役割、できることはあるな」と思えるようになったんです。あと、尾道に関わる活動が刺激があって楽しかったんですよね。今だから言えるけど、会社の仕事より楽しかった。

瀬戸田の「しおまちとワークショップ」でポストをレモン色に

募る「尾道をよくしたい」という想い

ーー当時から政治に興味はあったのですか?
(尾道市は)もっとこういう風にしたらいいのにというのは思っていました。外にいたというのもありますが、その想いはかなり強く持っていました

尾道に帰って距離的に近くなったら、僕のことを使ってもらえることもあるのかなぁと思いつつ…。

定年まで勤めることもできたんですけど、「もう帰ろう」と思ったんです。

Uターンから市長を目指すまで

ーーUターンしてまずは何をやったのですか?
2021年に合同会社「つなぐ和」を創業しました。東京や大阪で得た経験や人脈と、尾道の企業をつなぐ存在でありたいという想いから名前をつけました。

最初はそれまで会った人に挨拶まわりをしながら、「どうやって事業を作っていくかな?」とドキドキしていましたね。まずは生活するための土台を固めないとと思っていました。

ーー具体的にはどんな事業をされたのですか?
一言で言うとコンサルタントですね。尾道のまるか食品さんと「SETOUCHI+」と言う尾道の産品を扱うECサイトを立ち上げたり、平山郁夫美術館25周年記念イベントをプロデュースしたり、尾道映画祭の企画・舞台演出もやりました。
営業サポートや、プロジェクトの進行の役割が大きかったと思います。

尾道映画祭2022にて

選挙が迫る中「このままでいいのか」

ーービジネスから政治に切り替わるきっかけは?
(政治への想いは)帰ってきてからずっと、根っこにはあったんです。でもほぼ出していなかった。

本当にそっちに行く覚悟がなかったんです。会社も軌道にのってきたしこのまま行くかという「弱気の亀田」がいた。

ーー「弱気の亀田」ですか笑。
そうこうしていると4年に一度の選挙が迫ってきて去年の夏以降、悶々とし出すんです。人生一回、これでいいのか?と。

ただ、今までそんな素振りを見せていないし、地盤ないし看板ないし金ないし…笑。

ーー相当な覚悟がいりますよね。
でも、(4年に一度の)このタイミングで何もしないのはないよなと。

「弱気な亀田」にこれでいいのか?と自問自答して「いかん!」と思いました。

市議から一転、市長選へ

ーー亀田さんは1月16日、4月23日に投開票される広島県尾道市長選の記者会見を行いました。はじめから市長選と思っていたのですか?
いえ、まずは市議を4年やって地盤を作ってからと思い色々な人に挨拶に伺うと「亀田くん、それはいけん」と。もっと大きいのに行けと。

ーー市長選に行けと笑。
もちろん、いきなり市長選はリスクがあると言う人もいましたが、僕の「尾道をよくしたい」という気持ちに嘘はなかったので。

市議として尾道市のためにとは思っていたけど、(市長として)自分がやれるのであればそちらの方が変えられるだろうと。客観的に考えてもそれは間違いないと思いました。

そして、みなさんからそういう声があるのであれば、やるしかないでしょうと。 

ーーとはいえ、並大抵では決断できないと思います。
4年間待つこともできましたが、(尾道市の状況は)そんなに変わらないと思いました。僕は尾道に帰ってきて2年しか経っていないけど、これをやらないと帰ってきた意味がないじゃないかと。そう思うともう、ブレなくなりました。

故郷尾道への想い

ーー尾道出身の亀田さんが思う尾道のいいところはどこでしょうか?
やはり人が温かいというところでしょうか。
世話好きで、面倒見がよくて、都市部では失われつつありますが、本当にいい意味でのお節介なんですよね。

実家の近所のおばさんがビワが取れた、紫蘇を作ったと持ってきてくれたり、日常レベルで人の優しさに触れられると思います。

尾道の今と昔

ーー亀田さんが尾道と聞いて思い浮かべる「原風景」はありますか?
なんだろうなぁ…。
でも、僕が子供の頃は尾道水道沿い(今のグリーンヒルホテルの辺り)に商店が密集して並んでいたんです。三丁目の夕日のような風景ではありましたね。

そうそう、そこに新聞屋があって小遣い欲しさに内緒で新聞配達したことがあったなぁ。親にバレて3日で辞めさせられましたけどね笑。

ーーでは、昔の尾道と今の尾道に違いはありますか?
僕が過ごした尾道は合併前の尾道なのですが、商店街を見てもここまで人は歩いていなかったです。新しい店も増えましたし、移住者も昔はこんなにいなかったと思います。

ーー移住者は本当に多いですよね。
かつて北前船などが寄港した港町だけあって、尾道には多様性を受け入れる土壌があるのだと思います。

志賀直哉など文学人がたくさん滞在したりということからもそれは明らかなのかなと。この風景なのか、穏やかな気候なのかはわかりませんが…。

尾道でチャレンジしたい移住者

ーーANCHERは尾道でチャレンジしたい人を応援するメディアでもあるのですが、大きなチャレンジが控えていますね。
確かに、人生が変わるくらいのチャレンジですよね。

ーーこれから尾道に移住してチャレンジする人にメッセージはありますか?
「尾道だったら何とかなりますよ」と伝えたいですね。

尾道は「瀬戸内の十字路」と呼ばれるくらい交通の中心なので情報が集まるしその分、発信も盛んです。昔から外から人を受け入れてきた歴史もある。こんな街はそうないです。

あとは、尾道は人がいいので困ったら誰かが助けてくれます。尾道はチャレンジャーの受け皿になれる街だと思います。

 

聞き手:松崎敦史/ANCHER編集長 インタビュー写真:正木孝則

twitter:https://twitter.com/toshi_kame 
合同会社つなぐ和HP:https://tsunagu-wa.jp/

亀田さんのおすすめスポット:因島大橋

しまなみ海道で向島から因島大橋に入った時に左手に広がる風景が一番好きです。晴れている時は特に海がキラキラ輝いて「日常の中の絶景」だと思います。

 

この記事を書いた人

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松崎敦史ANCHER編集長

世界一周中にできた不思議な縁で2018年、家族4人で向島に移住。東京で編集者として勤務→フリーライター→書籍出版→ウェブメディア編集長とおもにコンテンツ畑を耕してきた。35カ国以上を旅した元旅人。
株式会社世界新聞代表。
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