世界最高賞の受賞歴をもつビール職人が、愛する地元広島で醸造所を立ち上げたーー。そんな“夢”を叶えたのが、「しまなみブルワリー」代表の松岡風人さん。府中市にUターンし、尾道でビジネスを展開して2年目。醸造所ができるまでのエピソードを聞きました。
松岡風人(まつおかかざと)
1983年生まれ/広島県府中市出身/「株式会社しまなみブルワリー」代表取締役・醸造長
2021年、府中へJターン移住し、同年12月に尾道で起業。
いずれ広島でブルワリーを。山梨の師匠の元で修行
ーー松岡さんがビール職人を目指したきっかけは何でしたか?
日本のビール文化を支えたビール職人、山田一巳さんの著書『ビール職人、美味いビールを語る』に出会ったことですね。当時は東京農業大学の醸造学科で、酒造技術を一通り学び、特に、ビール造りが好きになっていた頃でした。本を読んで、僕がやりたいのはこれだ!と思い、山田さんが醸造長をしていた山梨県の「八ヶ岳ブルワリー」に就職しました。
ーー師匠との出会いは大きいですね。新卒で大手ビールメーカーに就職する道も当然選べたと思いますが、なぜ、地方のブルワリーへ?
ビール造りを1から10まで全部手がけたかったからですね。小規模なメーカーだから、レシピ開発も醸造もすべて学ぶことができました。
また、僕は就職が決まった時から社長に、「いずれ広島に帰って、ブルワリーを立ち上げる」と伝えていました。だから、八ヶ岳ブルワリーでビール造りのすべてを習得したい気持ちも強かった。
ーーいまのようなクラフトビールの流行は、当時から意識していたんですか?
いえ、当時は「クラフトビール」という言葉もまだなかったし、現在とは真逆の状況だったんで。1990年代後半の地ビールブームが落ち着いて、「地ビールはおいしくない」なんて言われていた“底辺の時代”でした。それでもビール造りの道に進んだのは、自分が信じる「おいしいビール」を造りたいという気持ちが強かったからです。
マイクロブルワリーでは珍しい「ラガー」に挑戦
ーーここからはビールについて聞きたいんですが、まず、クラフトビールやマイクロブルワリーについて簡単に教えてください。
ざっくり解説すると、日本のビールメーカーの中で、大手4社(キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー)以外の造り手はすべて「マイクロブルワリー」で、大手が手がけるビール以外は全部、「クラフトビール」。マイクロブルワリーの中も、小さな設備で始める人や、八ヶ岳ブルワリーのように2000リットルタンクで仕込むところなど、規模感はさまざまです。
この話の流れで、僕が造りたいビールの話をしてもいいですか?
ーーはい、お願いします!
ビールの種類は大きく分けて「ラガー」と「エール」の2タイプがあって、日本でよく飲まれている大手4社のビールはラガー中心。というか、世界的に見てもよく飲まれているビールはラガーですし、僕自身はドイツのラガービール文化をリスペクトしているから、造りたいのも断然、「ラガー」なんです。
ーーラガーとエールの違いは?
違いは「発酵方法」で、エールは発酵期間が短い「上面発酵」、ラガーは発酵に7日ほどかける「下面発酵」です。マイクロブルワリーの場合、少ない量を短期間で仕込めるエール造りが中心で、ラガーを造るところは少ない。理由は、仕込みをしてから製品ができあがるまで1ヶ月以上かかるし、品質安定のため一度にたくさんの量を製造しないといけないから。新参ブルワリーにはハードルが高いですが、挑戦しがいのあるビールです。
世界一を獲って広島に帰ろう
ーー独立して尾道で起業するまでは、何から準備を始めましたか?
まずは、会社を離れる準備。八ヶ岳ブルワリーの社長からは、「爪痕を残してから地元に帰れ」と言われていました。転機は2015年、師匠の山田さんからバトンを受け継ぐ形で「醸造責任者」になれたんです。
ーーおお~、師匠の仕事を継ぐってすごい! ただ、そうなると責任重大ですね。
そうなんです。早く広島へ帰ってビール造りをしたい気持ちもあったけど、せっかく醸造責任者になれたのに、たった数年で辞めるわけにはいかない葛藤もあって。すぐには広島へ戻れないな、と腹を括ってからは、「世界一を獲って爪痕を残すこと」に気持ちを切り替えました。
2019年に、“1杯目専用生ビール”がコンセプトの「FIRST DOWN」で世界最高賞を受賞して、会社への“置き土産”ができたことでようやく、広島へ戻る準備を始めました。退職したのは醸造責任者6年目の2021年でした。
難航した尾道での物件探し。現れた救世主
ーービジネスを始める場所として、尾道を選んだ理由は?
Uターン先の地元・府中から通勤できる範囲にある街が条件で、検討した中でも、尾道は「観光」に強いから一択でした。ただ、ブルワリーに適した物件探しは相当難航して、かなり大変だったんですよ。
ーーそうだったんですね…。松岡さんが思い描いたブルワリー用の物件に必須な条件って、何でしょうか?
必須条件は3つで、100平方メートル以上の広さと、火気の使用OK、そして、下水設備。条件が3つとも揃う物件を尾道市内で見つけづらかった理由の一つは、意外なことに「下水普及率」が低いから。物件情報を不動産屋でチェックし始めたら、下水が通ってない物件が多いとわかってびっくりしたんです。
ーー確かに、住宅の場合でも、水洗式のトイレがある物件は少ない気がします。
そうですよね。「下水は当然、普及しているもの」と思っていたから盲点で。いまお借りしている物件も、元は書庫だった場所で、広さの条件は十分クリアしていたものの、下水がつながってなく、火気の使用許可に必要な消防法の審査も受けてなかった。
それで、この物件の管理をしている地元の書店「啓文社」さんに、「借りるためには下水工事が必要なんですが、工事費用の面で難しくて」と相談したら、「工事費用はこちら持ちで、下水をつなげますよ」と言ってくださって、無事に物件の契約ができました。このままだと尾道でビールが造れないかも…、と本気で心配していたので、このサポートは本当にありがたかったです!
ーー物件契約後、工場を稼働させるまでは、どんなスケジュールでしたか?
下水工事は2022年3月に終わって、消防法の審査も同年秋には無事クリア。そして、10月から醸造所の工事がスタートして、2023年に入ってから工場を稼働させて仕込み開始、というスケジュール感でした。
ーー醸造所を作るのに、一番お金がかかったところは?
一番は、食品衛生管理の条件をクリアした空間設備です。輸入した6本のステンレスタンクなどの製造設備にかかった金額よりもはるかに多くのお金を空間設備にかけています。
クラウドファンディングで700万円を達成。成功の要因
ーーお話を聞いていると、職人としてのスケールがとてつもなく大きいんだな、と感じました。最後に、大人気だったクラウドファンディングについて教えてください。開始初日、たった半日で目標金額の200万円を達成して注目を集めましたが、成功の秘訣は?
1つ目は、プロジェクト立ち上げを、“クラファン慣れ”した人材と一緒にやったこと。僕の場合は、しまなみブルワリーを一緒に立ち上げたパートナーの杉野が、八ヶ岳ブルワリー時代に一緒に取り組んだクラウドファンディングを含め、たくさんの達成実績をもっている人材で、彼のアドバイスでやったことはどれも成功の一因になっていると思います。
2つ目は、支援受付期間にたくさんの応援コメントを集めて公開し、一緒にプロジェクトを成功させるぞ!という勢いを作ったこと。マツダ株式会社の菖蒲田会長、という、広島で取り組むプロジェクトにとって、これ以上ないほど豪華な方からも応援の声をいただけたりもしました。紹介してくださったのも八ヶ岳ブルワリーの母体である萌木の村・舩木社長のつながりだったりするので、あらゆる人脈からアプローチするのも大事ですね。
ーー最終的には何名の支援が集まったんですか?
607名です。ただ、ファンディング開始の前日は「本当に達成できるのか?」と不安でいっぱいだったんですよ。スタートして数時間の反響を見て、杉野から「おめでとう!」って言ってもらえて、すごくホッとしました。その後、ネクストゴールの700万円も達成し、予想を大きく上回るご支援をいただくことができました。
ーー締めくくりに、今後の展開について聞かせてください。
いまは、クラウドファンディングのリターン品をすべて発送し終えた段階で、ブルワリー立ち上げの第1ステージは、クリアできたという感じ。次のステージに向けてやることはたくさんあって、まずは、ビアパブや飲食店への小売に対応できるようにすること。そして、個人のお客様にも缶ビールを買っていただけるよう、販路を拡大すること。あと、地味に大変だったラベル貼りをもうすぐ機械化できるので、生産スピードをあげること。初回生産分の3000本以上はすべて、僕と杉野の2人でラベル貼りしました(笑)
しまなみの景色とともに、たくさんの方にしまなみブルワリーのビールで乾杯していただけるよう、こだわりのビール造りに励みますので、応援をよろしくお願いします!
しまなみブルワリー
所在地:尾道市久保1丁目6-15-2
ホームページ https://shimanami-brewery.com/
松岡さんおすすめの場所 尾道渡船の兼吉渡し(向島側)
「向島側の渡船乗り場前が広場になっていて、千光寺山や街並みが見渡せる良い場所なんです。将来的にはビールが出せるキッチンカーを導入して、この広場で乾杯してもらえるようにしたいですね」
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