移住者

尾道へIターン移住後、結婚出産。向島立花で3人の子育てをしながら見つめるもの
東京から尾道に移住し3人の子育てをするかたわら、野外活動団体「みらいのこども舎」を創設した高野香澄さん。子どもが産まれて一変した移住生活。向島での豊かな暮らしの中で見つめてきたものとは。

高野香澄(たかのかすみ)

1985年生まれ/茨城県出身/みらいのこども舎 創設メンバー/尾道自由大学 教頭
2012年に尾道へIターン移住

東日本大震災で変わった考え方
庄原を経由して尾道へ

高野さんが住む尾道の対岸にある向島の立花地区。尾道市街から車で15分ほど

――尾道へのIターンの経緯を伺いたいんですが、高野さんは当初東京で働いていましたよね。
そうです。広告代理店で、寝る間も惜しんで働いていました。

退職した後は東京に拠点を残しつつインドで仕事をしたりもしましたが、 “好きを仕事にすること”と生計のバランスに難しさを感じていたんです。

インドから帰ってきて、東日本大震災がありました。写真家の友人や仲間達と福島の今を伝える写真展を通じて各地をまわる中で、「人があふれている東京にいるより、人手が足りていない場所で動いたほうが良いんじゃないか?」と考え始めて。

――東京にいることに疑問を感じたんですね。
はい。そんなとき、数年前の旅先で仲良くなった男の子から「譲り受けたおじいちゃんの家を人が集える場所に改装したい。一緒にやらない?」と声をかけてもらって。

そのおじいちゃんの家というのが、広島県庄原市にありました。それで、庄原に行ってみることにしたんです。

――庄原はどうでしたか?
古民家の遺品整理、改装、畑仕事――わからないことだらけの中で、近所の人たちからたくさんのパワーをもらいましたね。

出会った人が本当に素敵な方ばかりで。生きる力があって、暮らしの中に知恵をふんだんに使っていて、シンプルですごく豊かさで満たされていて。庄原ではさまざまな感動に出会いました。

――その後、なぜ尾道に行くことになったんですか?
庄原での日々をSNSに投稿していたら、代理店時代の元上司から連絡がきて。「尾道や備後地方が拠点となる『ディスカバーリンクせとうち』という会社ができるんだけど、庄原にいるんだったら南下して尾道に行ってくれば?」って。

「ディスカバーリンクせとうち」はまだ立ち上がったばかりの会社で、尾道にどっぷり入り込んで広報する人を探していたそうです。

茨城に住む母も「尾道はいつか行ってみたい場所だった」と言うので、「じゃあ行きますか」と決断しました。

2拠点生活のつもりが尾道向島に完全移住

旦那さんと入籍した時の一枚

――それで尾道にIターンしたんですね。
2012年9月に面接、採用され10月から働き始めました。ただ当時は東京に未練があったので、「東京と尾道を行き来できるなら」という条件で入社しました。だから最初の2カ月ほどはゲストハウス「あなごのねどこ」に寝泊まりしながら2拠点生活を送っていましたね。

でも蓋を開けてみたら、もうめちゃくちゃ忙しくて東京にはほとんど帰れませんでした。そうこうしているうちに12月には向島に住む家も見つかったので、そのタイミングで完全移住することになりました。

――家探しはどうやって?
地元の人に軽い気持ちで「家を探しています」と言ったら、「立花テキスタイル研究所」の新里カオリさんを紹介してもらいました。カオリさんの会社の持ち物だった空き物件が向島(立花)にあって、「住んでいいよ。家電も布団もあるから使っていいよ」って。

会社から少し距離があるので迷っていたら、「仕事柄、街の人たちとたくさん関わるだろうから、ちょっと離れているほうが落ち着くと思うよ」と言ってもらって、それで住み始めることにしました。

――その後、尾道で結婚、出産を経験されるわけですね。旦那さんとはどうやって出会ったんですか?
当時いろいろな偶然が重なり、ひとり旅をしていた夫が尾道に立ち寄ることになりまして。そのときの夫の尾道滞在をアテンドしたのが私で、それが出会いです。

2014年に出会って2015年に結婚、秋に夫が尾道に移住してきて、2016年に出産しました。

子どもが産まれ一変した移住生活
土地と人に恵まれた6年

家の前に広がる浜

――尾道で結婚・出産を経て、ライフスタイルはどう変化しましたか?
子育ての大変な時期は一瞬という人生の大先輩からの助言もあり、子ども中心に切り替え、向島(立花地区)での生活に集中するようになりましたね。

仕事をしていたときは家と会社の往復だけだったし、たまの休日はあえて車で遠出したりして、尾道から意図的に離れるようにすらしていましたから。

――それはなぜ?
やっぱり気を張っていたのかな。携わっていた仕事は、数値化して効果測定できるようなものではなくて、人との関係性、信頼関係があって初めて成り立つようなものでした。だからじゃないけれど、どこかずっと「ちゃんとしなきゃ」という気持ちに縛られていたんだと思います。

――結婚・出産でその感じ方が変わった?
子育ての数年間、地域と向き合って過ごしたことで、余裕のなさや気張っていた部分が全部リセットできたように感じますね。

立花だからできた「子どもが主人公」の子育て

写真右/島の子どもで集まってクリスマスパーティー

――立花での子育てを振り返るとどうですか?
長男が生まれて6年ほど経ちますが、自分がこの子育てを東京でやろうとしたらできなかったな、と思いますね。

――というと?
子どもの安全を見守らないといけないとか、お母さんには日々あらゆるプレッシャーがつきまとうのに、さらに周囲に気を遣って子育てするのって相当キツイと思うんです。

でも立花には、すぐ近くに穏やかな海があって、そこで気持ち良く暮らしている人たちがたくさんいる。子どもが子どもらしくのびのびとギャーギャー遊んでいることを微笑ましく見守ってくれる人がいる。子どもが主人公の子育てができるんですよね。

人に恵まれ、土地に恵まれ。それを常々実感してきた6年間でした。

――3人の子育てをしている高野さんから見て、子どもたちは立花でどんなふうに育っていますか?
それはもう、のびのびと、いきいきと育っていますよ。体力がアスリート並みにすごすぎてこっちがキャパオーバーを感じるくらい。今まわりにいる仲間達とやりたいことがありすぎるんでしょうね。とにかく毎日楽しそうです。

ある程度は周囲に守ってもらう環境の中で、基本的に彼らはもう1人ひとりの人格者。周りもそれを尊重してくれるのが本当にありがたいです。

仲間とつくった「みらいのこども舎」

ふたりの息子もこども舎に通う

――高野さんは向島でようちえんを作られたそうですね。活動内容を教えてください。
「みらいのこども舎」は認可外の野外活動団体です。生きることを楽しんでいる人生の先輩たちや自然との関わりの中で、感じる心(意欲、好奇心)を解放しながら思い思いの「こども時間」を過ごしている親子の居場所です。

月曜日は手仕事をしたり、火曜日は散歩をして季節のうつろいを感じたり、水曜日は火を起こしてお米を炊き、野菜も切ってお味噌汁を作ったり、木曜日は冒険したり、金曜日はアートや文化にふれたり。

そんなふうに、曜日や季節に応じてテーマは設定しつつ、基本的には集まったこどもたちのやりたい!やってみたい!という声を尊重しながら場を育んでいます。

これらのさまざまな体験を共有しながら、「自分の手で未来をつくりだす力を磨いてほしい」という願いをこめており、こどもを見守るおとなたちの学びにも繋がっています。

――どんな子どもが通っていますか?
今年度から週5日活動していて、大人も合わせるとトータルで50人くらいが参加しています。いつでも入ってきていいような場所にしているので幼稚園や保育園の代わりとして毎日来ている子、他園との併用で来る子、自分のタイミングで来る子、いろんな子がいますね。

親子参加は0歳からで、預かりは3歳から。小学生も受け入れています。通常はデイタイムですが、今年から週2日で小学生のアフタースクールも始まりました。

みらいのこども舎をつくるに至った想い

――「みらいのこども舎」を作ろうと思ったきっかけは?
きっかけは、やりたいことがある人の強さや、自分の“好き”に対する想いへの気付きです。

仕事で携わった「尾道自由大学」では、好きなことをやり続けながら面白い人生を歩んでいる人にたくさん出会ってきました。

私自身そんなものはなかったから、「これさえやれていれば、飲まず食わずでもいい」っていう強さに強く惹かれたんですよね。私はなんで毎日こんなに我慢しているんだろう。子どもの頃は確かにあったはずの何かに夢中になった気持ちはどこへいったのか。何を楽しみに生きてきたんだろうって。

――自問自答があったと。
理想の幼稚園をつくりたい、自然の中で子どもをのびのび育てたいという仲間達との出会いも大きかったですし、自分自身も、子どもが大人になるまでの時間がどれだけ大切かをものすごく考えました。自然の中で、子ども自身が自分の生き方を見つめ続けていく必要があると思ったんです。

ほかを悪く言うつもりはありませんが、大人都合で決められた一律のプログラムに慣れすぎてしまうと、自分で物事を考えることができなくなってしまう。そこが疑問であり興味でもあったから、自分の子どもを通わせる前提でやってみようって。

みんなで子どもを見合うことで大人は落ち着いて過ごせるし、子どもたちものびのびと遊べるというこの環境、この感覚、この雰囲気が、もっといろんな人たちにオープンになればいいな、という想いでした。

――ようちえんを作るなんて想像もできませんが、立ち上げは大変だったのではないでしょうか。
草案からスタートまで約半年、クラウドファンディングも行い、形にすることができましたが、やはり立ち上げは大変でした。

でもこども舎を作りたいというモチベーションを持った仲間たちがいて、ベテランの幼稚園教諭経験者も有資格者もいて、土地も見つかり、それを望んでいる人たちもいる。それらがそろっていたので、あとは一つひとつ課題をクリアしていくだけでしたね。

尾道は自分を見つめ直すことができる街

――移住って良いことばかりではないと思います。デメリットはなんだと思いますか?
いろいろありますよね。たとえば街で目立っている人の印象で、外からだと尾道ってすごく面白く見えるかもしれないけれど、「自分も何かやらなきゃいけないの?」という生きづらさを感じる人も多いじゃないですか。

目立った活動をしている人や、街のカルチャーを作った人がすごいとかではなくて、それぞれがそれぞれのレイヤーで生きやすいポイントを見つけていけたらいいと思うし、尾道はそれができる場所でもある。

だからメリット、デメリット両方の話になってしまいますが、尾道って“個人が生き方を見直さざるを得ない街”だと思いますね。

――それが良い点でもあり苦しいポイントでもあると。
そうですね。私自身、そこにはすごく悩みましたし。仕事をしていたとき、それはそれで苦しみもしたけれど、居場所と存在意義があったわけで。

出産して仕事を辞めた瞬間それを失った気がして、目立っている人たちが眩しすぎて近寄れなかった。

でも、周りに心地よく暮らしている人、同じ想いの人がいたことで救われました。1人ひとりが自分を見定めつつ、もがきながらも人間らしく生きているから、それがいざ集合体になったときにものすごい力を発揮するのかもしれません。尾道は、自分を見つめ直して、気持ちをリセットできる街ですね。

 

聞き手:松崎敦史/ANCHER編集長

みらいのこども舎

所在地:尾道市向島 
活動日:月〜金
対象:親子参加/0歳〜 預かり/3歳〜 小学生
※週2回小学生のアフタースクールもあります。
ホームページ
問い合わせ先:mirainokodomosha@gmail.com

 

高野さんおすすめの店

POUR specialty coffee
「尾道の海沿いのコーヒー屋さん。ここのコーヒーは本当においしいです。飲むと意識がリセットされるしエネルギーチャージできるので、よく行きます」

 

 

この記事を書いた人

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安藤未来ライター

初めて訪れた尾道の情景と懐の深さに一目惚れして2021年、夫・ねこ2匹と共に東京から移住。雑誌やWebの編集を経て、ライター・校正者として活動している。
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