移住者
2022.11.17THU
田中亮太(たなかりょうた)
1978年生まれ/尾道市出身/Tutuyu Onomichi Cafe 店主
2008年に尾道にUターン移住
アパレル企業で感じた危機感
尾道にUターンを決意
――田中さんは尾道生まれですよね。Uターン前はどんな仕事を?
大学卒業後、東京に本社があるアパレル企業に就職して神戸などの地方都市にあるショップを中心に担当しながら約10年勤めました。尾道に帰ってきたのは、2008年リーマンショックのとき。32歳でした。
――アパレル企業の業務内容を教えてください。
接客や商品管理が主な仕事で、最終的には店長を務めました。店長兼エリアを担当するスーパーバイザーのアシスタントというポジションで、6店舗ほどのマネジメントを担当しました。
――尾道にUターンするきっかけは?
リーマンショックがあって、会社やテナント出店していた商業施設がもろにダメージを受け、集客と売上が激減したんです。どんどん傾いていく状況を見つめるうちに「アパレル、これから厳しいぞ」と。
また、30歳を超えてアパレルに携わる難しさを感じ始めていたのもこの時期です。店長のままでは、この業界に骨をうずめることはできないなと考え始めていました。
――難しいというのはなぜですか?
もっと昇進して上にいっておけば、ノウハウを若い人に伝えることができるんですが、店長ポジションってなかなか中途半端なんですよ。
そうしているうちに年齢を重ね、時代のトレンドに感性がうまくついていかなくなる。……あとは単純に自分のビジュアルの変化ですね。
――おじさんになっていきますもんね。
そうそう(笑)。
景気悪化とキャリアの行き詰まり。次のステップを考えるにはちょうど良いタイミングだと判断したんです。競争社会にも疲れたし、ゆったり過ごせる故郷へ帰ることにしました。
地元企業ではたらいた開業までの12年
――Uターンして「Tutuyu Onomichi Cafe(以下、Tutuyu Cafe)」を開業するまでの歩みを教えてください。
32歳で尾道に帰ってきてから、5年ほど商社に勤めました。そのあと再転職して2〜3年、そして派遣会社で1年半ほど働きました。
――約10年離れた故郷に戻ることに対して、不安は?
実家に帰ったので住居の不安はありませんでしたが、次の仕事が見つかるのか?という懸念はありました。リーマンショックで、そうそう求人のないご時世だったから。
――転職活動はどうでしたか?
不安だったとはいえ、Uターン後すぐにハローワーク経由で次の仕事が見つかったのは幸運でしたね。
接客業と営業職の2択にしぼって探し、営業職で採用されました。
――どんな会社でしたか?
穀物豆の商社で、製造から卸しまでの事業を展開しているアットホームな会社でした。今でもつながりがあって、応援してもらっています。
生まれ育った街で働くということ
――そのあと再転職されたんですね。次の会社はどうやって見つけたんですか?
肉の卸しで、営業兼配達員でした。
登録したままの転職サイトからスカウトメールが届いていて、たまたま目に止まったという縁でした。希望水準より給与が高かったので受けてみようと。
――次に派遣社員として働くんですね。
「Tutuyu Cafe」のオープンに向けて動きたくて。開業準備に時間を充てるため、比較的自由に動きやすい派遣の仕事に就きました。
――尾道で働いて良かったことは?
卸しや営業を通じて、地元の飲食業の人たちと仲良くなれたこと。人のつながりを実感できてうれしかったです。
――自分が生まれ育った街に帰ってきて暮らすってどんな気持ちですか?
最初は不思議な気持ちでした。でもそれはだんだん「安心感」へとつながっていったような気がします。
きっかけは奥さんの「老後の夢」
前倒しでカフェを始めることに
――今や行列ができる人気店、「Tutuyu Cafe」を始めようと思ったのはなぜですか?
ある日奥さんと将来についての話をしたんです。「60歳ぐらいになったら何する?」みたいな。
そうしたら彼女が「カフェを営むのが夢」って言うんです。「えっ!?」って。初耳でした。
――初耳だったんだ(笑)。
老後の楽しみとして、こぢんまりとやりたかったみたいです。
――それがなぜ前倒しで開業することに?
どちらかというと、僕は自分の店をやってみたいタイプの人間で。業態は別ですが店長としての経験も積んできて、“どうやったら店がうまくいくか”という方向性が、感覚的につかめたんです。
それに尾道って、開業チャンスがめちゃくちゃあるぞと思っていて。軌道に乗せる自信があったんですよね。だから(奥さんに)「やる?今から」って。それで開店に向けて動き出しました。
「Tutuyu」という名前に乗せた想い
――そして2020年1月、尾道・新開エリアに「Tutuyu Cafe」がグランドオープンしました。店名の由来はありますか?
Tutuyuって漢字で「筒湯」と書くんですが、これ、僕が通った「筒湯小学校」(2000年廃校)がモデルになっています。かつて、ここ新開エリアの子どもたちが通った小学校だから、地元の人には馴染みのある名前だと思ったんです。
親しみを持ってもらいたい、「筒湯」という名前を残したい。そんな想いで店名に拝借しました。
――小学校の制服がロゴのモデルにもなったそうですね。
手塚治虫みたいなエンジのベレー帽、ブレザーに蝶ネクタイという制服でした。かわいいですよね。
オープン直後にコロナで売り上げ10%に…
――オープンして手応えはいかがでしたか?
ありがたいことにオープンしてからものすごく順調に営業できました。
でも2020年の春先にコロナが流行りだして売上は急降下。10分の1にまで落ち込みました。しかもこの状況、何年も続きそうじゃないですか。
このままだと潰れてしまう。だから、他店との差別化を図るために一気にブランディングに力を入れたんです。
――どういうことに注力されたんですか?
まずは店名やロゴのストーリー、背景をSNSなどでどんどんアピールしました。またポップでかわいいロゴを追加制作して、ステッカーに水筒、マスキングテープ、ドリップコーヒーなど、さまざまなグッズを展開しました。
勢いに乗れたのはそこからです。コロナの急降下がなかったら、今こんなにうまく経営できていなかったと思います。
――自分の店を切り盛りする中、一番大変なことは?
“全ての責任が自分にある”ということでしょうか。とはいえ、良くも悪くも自分で舵取りできるので、楽しい側面でもありますけどね。
――やりがいを感じるのはどんな瞬間ですか?
経営戦略、ブランディングからプロデュースまでを行っているので、受け入れてもらえるのはうれしいことです。
それに飲食店なので、やはり「おいしかった」と言ってもらえるのが一番うれしい。おいしい料理は奥さんのおかげです。
夜遅くまで仕込みをすることも
――1日の流れを教えてください。
営業日は朝8:00ごろに店舗に出勤して、奥さんはすぐに仕込みに入ります。僕は掃除をして、11:30の開店ギリギリまで仕込みの手伝いをします。
平日の閉店が16:00で、店を閉めたらすぐさま次の日の仕込みが始まるんですが、MAXで忙しいときは翌日のAM1:00ぐらいまでかかることも……。もっと休まないと体力的に厳しいなと感じる今日この頃です。
――ハードですね……。休みの日は何をしているんですか?
定休日は木・金曜日の2連休にしているので、木曜日は店の買い物に行ったり、どこかおいしい店や話題の店に行って刺激を受けたりと自由に過ごしています。
金曜日は、朝からずっと仕込みですね。特に奥さんの負担が大きいので、できるだけ休んでもらえるようちょくちょくスケジュール調整して、無理のないように心がけています。
Tutuyu10年計画とその後のこと
――今後の展望について教えてください。
僕、「Tutuyuは10年」と考えていて。
現在20〜30代の若い女性をターゲットにコンセプトを作っていますが、自分たちもどんどん歳を重ねるんですよ。
――先ほどの“アパレル30歳over限界説”と少し似ていますね。
まさにそうで。10年後、55歳の僕。「このコンセプトでやっていけんの?」と自問自答するわけです。
だから、僕らのTutuyuは10年で一旦幕を降ろして、誰かに「Tutuyuブランド」のバトンをつないでいってほしいと思っています。
――そうなんですね!
もともと奥さんがやりたかったのは“こぢんまりとした地域のカフェ”でしたから。
Tutuyuを10年やったら、今度はまた尾道のどこかでひっそりとカフェを営めたらいいな。実はそんな青写真を描いています。
――最後に、尾道で店を開業して軌道に乗せるための秘訣は?
周辺の状況を知ることです。このエリアにはどんな人がいて、どんなものが好きで、どのくらいの経済効果があるのか。
尾道に限った話ではありませんが、事業を始めるならまずは徹底的にリサーチすることが大事だと思います。
聞き手:松崎敦史/ANCHER編集長
Tutuyu Onomichi Cafe
〒722-0045 広島県尾道市久保2-14-6
営業時間:月火水 11:30-16:00 土日祝 11:00-17:00
定休日: 木金
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「料理のおいしさはもちろん、店内のおしゃれさが洗練されていて、接客もとても素敵なカフェ&ダイニングです。行くだけでめちゃくちゃ癒されるお店ですね」
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