移住者

五島列島から尾道へ移住。26歳、若き造船マンの「覚悟」と「素顔」
長崎県の五島列島から尾道へやってきた近藤大地さん。尾道の地場産業である造船業への案内人として、移住先でひとり働く若者として、お話を聞きました。

近藤大地(こんどうだいち)

1996年生まれ/長崎県五島列島出身/尾道造船株式会社勤務。
2019年3月に尾道にIターン移住。

五島列島から尾道へ移住。運命的だった「尾道造船」への入社

故郷五島列島中通島の風景

――尾道に移住したきっかけは?
「尾道造船」への就職を機に、2019年の3月に移住しました。

――なぜ尾道造船を志望したんですか?
大学では船舶工学科で船の設計を学んでいて、3年生のときに工場実習がありました。その実習先一覧の中にあった「尾道」という字に、目が止まったんです。

というのも、中学生のときに観ていたドラマ(NHK連続ドラマ小説「てっぱん」)の舞台が尾道だったんですよ。その記憶が鮮明に残っていて、いつか尾道に行ってみたいと思っていました。それで実習先一覧から「尾道造船」を見つけ、希望したんです。

――尾道造船が実習先だったのですね。
2週間の実習期間中に、会社の人と良い関係性を築くことができました。その後、尾道造船の人がわざわざ長崎にある僕の大学まで出向いて入社のお誘いをくださったこともあり、「これは行くしかないな」って。

――大学で船の勉強をしようと思ったのはなぜ?
僕の地元は五島列島で、海や船は身近な存在でした。だから将来島を出るときには、船に関わりたかったんです。五島にも小さな造船所があって、小さい頃はよく兄と船を見に行っていました。

五島と尾道の向島は少し似ている

五島列島中通島にある中ノ浦教会

――実際に尾道に来てみて、良かったことは?
都会過ぎないところ。ちょっとだけ雰囲気が五島に似ているな、と感じることがあります。

――五島の人口規模や雰囲気は、尾道の向島に近かったりしますか?
五島には有人・無人含めていくつか島があって、ざっくり「上五島」と「下五島」に分かれます。僕の故郷は上五島の中通島で、人口は1.5万人ちょっとだったと思います。

島の面積は向島よりずっと大きくて、1日では回れないくらい。雰囲気も、向島より自然が多く残っているかも。中心地は栄えていますが、集落が点々とある感じです。

――就職を機に、大阪や東京に行くことは考えなかった?
大阪・東京は都会すぎて。僕にとって尾道の雰囲気が暮らすには理想でした。広島や岡山といった都市にもアクセスしやすく、車1台あればどこにでも行けますし。入社・移住して約4年経ちますが、尾道は知れば知るほど良い場所だと思います。

責任が重いけど「めちゃくちゃ楽しい」尾道造船での仕事

――尾道造船ではどのような仕事をしていますか?
会社には大きく「新造船部門」と「修繕船部門」があり、僕は「修繕」の所属です。修繕はその名の通り、船を点検したり直したりする仕事。修繕の中にも船体を見る担当、機関室のエンジニア、電気関係担当の3種類の職種があります。

僕は総合職入社なので、現場監督のポジションで工程管理などをしています。今は電気部門が担当です。

――修繕の作業ではどんなことをするんですか?
電気回りの修繕は、主にモーターの整備ですね。顧客からのオーダーに応じて工程を組み、それを現場に落とし込んでいきます。

たとえるなら船の電気部門は人間の血液みたいなもの。エンジンを動かすのにも物を動かすのにも必ず電気がいるし、電気が流れないと船は動きません。個人的には船の中で一番大事な部分だと思っています。

1隻分の修繕依頼があれば、船体、機関、電気、それぞれ1人ずつ担当が付いて3人で現場監督を請け負うことになります。

――あんな大きな船に3人ですか。責任が重いですね。
そうですね。でも重要な仕事を任せてもらえているという実感があり、めちゃくちゃ楽しいです。電気はほかの職種と比べて少し特殊で、できる人材が限られているので、需要は大きいんですよ。

――なるほど。わかりやすくいうとどんなスキルが必要ですか?
パズルや迷路を攻略するというイメージに近いですね。

やっぱり造船の「修繕」の仕事が好き

――電気部門に配属されてどのくらい経ちますか?
1年ちょっとです。電気系統の知識がなかったので、最初はとても大変でした。

配属後に社内で他の部門に研修に行かせてもらい、電気が通ってないところに電線を通わせ、実際に動くところまでを学びました。全体的な流れや電気の知識が身に付いたので良かったです。

――造船業での仕事って、一般的な会社に比べて少し特殊に感じます。
そうかもしれませんね。いわゆる「3K」のようなイメージをもたれることも多いかも。でも今はだいぶ改善されていますし、僕は全然気になりません。もちろん、大変な作業も多々ありますが。

あえて「修繕」と「新造」で比べるとしたら、新造のほうが人気かもしれません。修繕はどちらかというと古いものを触ったりするし、休みがないイメージみたいで。

でも僕は修繕の仕事のほうにやりがいを感じます。なぜかというと、新造ってスパンが長いんですよ。船1隻作るのに、設計から完成、契約、引き渡しまで2~3年かかることはザラです。

――間延びしてしまうと。
そうですね。一方で修繕のスパンは1〜2週間と短め。たとえば2週間集中して働いて、次の船が来るまで1週間あるとしたら、その1週間は休んだりもできます。

新鮮味があって頭の切り替えもできるので、僕は修繕の仕事が気に入っていますね。

中から見えた造船業界のリアル

――尾道造船といえば、2号線沿いにあるガラス張りの新社屋が印象的です。会社の雰囲気はどうですか?
新社屋ができたのは僕が入る前です。今時のデザインでおしゃれですよね。

社内全体で見るとまだまだ堅い部分があると感じます。ですが人間関係には恵まれていて、上司、現場の人、皆さんいい人ばかり。コロナ前はよくみんなで飲みに行ったりもしていました。

特に上司はとても柔軟で、提案や意見をしても「やってみればいいじゃん」って。とても気さくに話してくれるので、仕事がしやすいです。

コロナでシビアな現実も…。

――上司の存在は大きいですね。社員はほとんどが新卒入社ですか?
そうですね。総合職は新卒で採っていて、僕の同期は11人ほどいます。ただここ最近はコロナ禍もあり、採用活動はストップしていると聞いていますね。

――オーダーが少なくなっている?
それもあります。造船の作業量は、船1隻を造る期間で計算するんです。通常だと全スタッフが稼働して2〜3年分の仕事があるんですが、一番大変だった時期は半年を切っているなんてことも。

だいぶ回復しましたが、現実は結構シビアですね。コロナだけでなく、海外情勢や景気にも左右されやすいと思います。

国内だけでなく、外国の顧客もかなりいます。修繕で入ってくる船の乗組員は8割が外国人ですね。

――海外の船の乗組員は、修繕の間どうしているんですか?
一緒に作業します。修繕が終わるまでは尾道(船内)に滞在しているので、一緒に昼ごはんを食べに行くことも。その国ならではのマイペースなおやつ文化にふれたりできて、国際交流が楽しいです!

忙しくも充実した尾道ライフ。移住の「孤独」の乗り越え方

――今住んでいるのは社宅ですか?
社宅です。でもよくあるアパートやマンションタイプの社宅ではなくて、どちらかというと旅館のイメージ。建物自体は古いんですが、リノベーションで住環境はかなり整えてもらっていますね。

部屋にキッチンもついているので、普段の食事はほとんど自炊です。

――基本は土日休みですか?
はい。でも修繕船が入ってきたら土日も仕事ですね。忙しい時期の休みは不定期なので、プライベートの予定を組むのは大変かも。

もちろん、早めに申請しておけば休むこともできますよ。ただ修繕って割と突然決まるものなので……。どうしても仕事が優先になってしまいますね。そういった意味で仕事は大変ですが、自分から率先して動けるのでやりがいもあるし、今の仕事は気に入っています。

写真左/フットサル仲間のお店で飲み会
写真右/取材は尾道水道が見渡せるONOMICHI U2のデッキにて

――休日の過ごし方は?
あまり予定は決めません。筋トレしたり、カフェに行ったり、ゴルフやキャンプなどのアウトドアに行ったり。家にいるより、外で過ごす時間のほうが多いかもしれません。

――移住後、悩んだことは?
移住当初はものすごく孤独を感じました。コミュニティをゼロから開拓しないといけないので大変でしたね。僕の場合はフットサルチームに入って交友関係が広がりましたが、それまでは何の情報も得られなかったし、なにより寂しかったです。

それにやっぱり合う・合わないがあるので、チームはいくつか転々としました。でもこの経験から、飛び込んでみないことには誰ともつながることができないなと感じました。

――キャリアを含め、今後の展望ややりたいことはありますか?
仕事面でいうと、今携わっている電気系統のキャリアをもっと深く掘り下げたいと思っています。

趣味サイドでは大好きなコーヒーをもっと追究したいです。尾道も大好きな場所なんですが、最終的には故郷である五島でカフェを開くのが夢だったりします。

 

聞き手:松崎敦史/ANCHER編集長

 

近藤さんおすすめのお店

クラフトコーヒー

「新尾道駅の方にある珈琲豆の店です。飲食店への卸しがメインみたいなんですが、個人売もしてくれます。SNSなどの発信をしていないのでわかりづらいかもしれませんが、コーヒー好きにピッタリの店です」

この記事を書いた人

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安藤未来ライター

初めて訪れた尾道の情景と懐の深さに一目惚れして2021年、夫・ねこ2匹と共に東京から移住。雑誌やWebの編集を経て、ライター・校正者として活動している。
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